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父の遺品

静岡に移り住んで20年の間両親が暮らした家…私たちはここでは暮らしてはいない。私が結婚してから、富士山と海のそばという条件で求めた家…両親には申し訳ないが、やはり私たちで管理していくのは難しいので処分するしかない。
処分に向けて家の中を片付けているが、いちいちびっくりするようなものが出てきて、なかなか進まないのが現状。

母はというと、たくさんの布地が出てくるのは覚悟の上。洋裁が好きで人に教えたり頼まれて仕立てたりしていた。もちろん私たちの服もほとんどが母のお手製。たまには違う服が着たいと思うくらい、母好みのお嬢さんスタイルのものが多かった。(・・;) それと、私たちが幼い頃に作ったものや身に着けていたものなどなど…
ある意味予想通りのもの。

父の場合は…確かにいろいろ出てきたけど、一番驚いたのは…陸軍士官学校の制服のベルトと軍人勅諭!

100830_1833~01

だいたい官給品のはずなのに、個人が持っていてもよかったのだろうか…
遺された絵の中にも「老兵健在」と題した自画像があった。
士官学校を出たら戦争にいってお国のために死ぬんだと思って生きていたのに、戦争にいく直前に終戦。
ある意味そのときで父の時は止まってしまったのだろう…

私の高3のときの先生を思い出す。卒業目前の私たちに、最後の授業なので自分の話をしたいと言って…
軍国少年だった先生は、いきなり終わってしまった戦争に、しばらくは将来が考えられなかったと…
「それまでの生きがいを失ってしまいました。あの時僕は一度死んだのだと思います。戦争はよくないけれど、少なくともあの時点までは僕には未来がありました。」
その話の全部を覚えているわけではない。
ただ普段物静かな、ある意味眠気を誘われるような穏やかな授業をする先生の意外な一面を見た気がしたのが印象的だった。

頑固で、人と容易には交わらず、つまらなくないのかなと思う父だったが、60を過ぎて母のためにといって運転免許をとりに自動車学校に通っていた時には、たくさんの若者たちから「お父さん、お父さん」と声おかけてもらって、助けてもらったり教えてもらったりして楽しかったようだし、静岡に越してからは地元の絵の会に入れてもらって交流したりしてようだ。
きっと父としては精一杯だったんだろうなぁ…

というわけで、こんなものを見つけてはあ~でもないこ~でもないと姉としゃべりながらの片付けなので、遅々として進まない(・・;)
それにしても今回も父のことを深く考える実家行きだった…
ちなみに、軍人勅諭は姉が声にだして読んでくれたけど、ほとんど意味不明だった。



[ 2010/09/04 00:35 ] diary | TB(0) | CM(0)

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